企画


テキスト天下一武道会:準決勝テキスト テーマ[雨]
『心境』

私はただ一心不乱に走り続けた。雨音が足音を掻き消してくれる。




彼女との約束は午後8時。仕事を5時に終えた私は一まず自宅に戻った。連日の仕事の疲れが溜まっていたのだろう、ちょっと休むつもりで横になったソファーの上、私は何時の間にか眠っていた。

中学生時代の夢を見た。丁度10年前の4月、中学3年生になった私と彼女は同じ教室に居た。そういや昔から良く笑う娘で、男女隔たりなく誰とでも仲良くできる人気者だった。ただ一つ欠点を挙げるなら、何をするにも飽きっぽい性格で、勉強にしろ部活にしろ長続きした試しがなかった。『三日坊主』というやつだ。そして、それは今でも何ら変わっていない。その性格ゆえ、彼女は何をやっても上手くいかず、高校を中退し、一時は随分と悪い事もやったようだ。ただ、8年前に彼女と再会した時は、中学生の時と変わりない屈託の無い笑顔を浮かべていた。

・・・はっと目を覚ますと、時計は7時を示していた。約束の場所まではどんなに早く着いたとしても、ここから40分はかかる。私は寝癖のついた髪に軽く櫛を通し、急いで家を出た。今思えば、この時から調子がおかしかった気がする。私は時間に遅れるような事は滅多にないのに。

何とか約束の5分前には目的地に着くはずの電車に乗ったものの、人身事故が起き、ダイヤは大幅に乱れた。結局私は20分遅れて彼女の部屋へ到着した。彼女との約束の時間に遅れたのは、これで2回目だ。前に遅れた時は随分と怒られたっけ。私は覚悟を決めてドアを開けた。

意外にも彼女の表情は穏やかだった。それが却って私を恐怖させた。彼女がこの表情を見せるのはいつも決まって何か良からぬ事を言い出す時だ。悪寒が走る。ゴクッと唾を飲み緊張で乾ききった喉を潤し、この空気を打破するため何か話そうとしたその時、先に彼女がその重い口を開いた。

「別れよう」

彼女が高校を中退し悪さをしていた頃、その飽きっぽい性格から色々な男の間を転々としていたという噂を聞いた事があった。それゆえ、彼女と付き合った時からこの展開は覚悟していた。いや、覚悟していたつもりだった。

・・・・オレヲステテ、マタベツノオトコノトコロヘイクツモリカ・・・・
逆上した私は、咄嗟に近くにあった花瓶を手に取り、彼女を殴りつけた。何度殴りつけたのか、全く覚えていない。ただ、気付いた時には、目の前に血の海が広がり、そこに横たわる彼女の姿があった。

狼狽した私は、状況を把握しきれないままに部屋を飛び出した。何時の間にか外には雨が降っていた。次第に冷静さを取り戻してきたが、考える事はしない。

私はただ一心不乱に走り続けた。雨音が足音を掻き消してくれる。雨が血を洗い流してくれる。
これなら見つからずに逃げ切れるかもしれないという甘い考えが一瞬脳裏を掠める。が、雨の中傘をささずに脇目も振らず走り続ける男の姿は、明らかに怪しいものだった。結局、不審に思った警察官に服に残っていた血痕を発見され、彼女の遺体の発見の前に私は捕まった。





後の警察の調べで分かった事がある。それは、彼女が私の両親から昔素行が悪かった事を攻め立てられ、本当に息子のためを思うのなら別れてくれ、と言われたという事だった。




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雨はあの夜から3日間降り続いたが、4日目の朝は快晴だった。





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